ベラの戯れ言第弐章

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zoom RSS 食の記憶の続きです

<<   作成日時 : 2015/11/03 23:43   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 10

皆さま、こんばんは

皆さまのページへの訪問が
滞っております・・

少々お時間を頂ければ
幸甚に存じます。

ご交誼賜っている方々には
わたくしのおおよその世代はばれていますから
昔々のお話を致しましょう。


子ども時代
わたくしは発育不良児とみなされ
手作りのおやつで栄養補給するよう
母が指導をされました。
材料指定です。

従って
駄菓子屋で買い食いする、ということは
滅多にないことでした。

その影響もあったのでしょうか??
当時、一般的に出回っていたもの、に
魅力を感じなかったのです。

例えば・・
水で溶いて飲むと
舌が濃いオレンジ色に染まるジュース
なめると下が真っ赤になる、苺の形の飴
そういうものは
「見るもの」であって
食べたい、と思ったことはありませんでした。
兄が10円の籤で引き当てた、大箱いっぱいのガムは
少し貰いましたが
スカスカでした・・

母お手製のおやつのお供は
温かいスキムミルク

改良された現在の製品と違い
溶けにくかったですね。
だまと泡が苦手でした。

牛乳嫌いの母が
もったいないから、と
だまと泡を飲んでくれて・・・
きれいな部分を私にくれたことを

なぜ今、思い出すのでしょうか・・

おかあさん・・・ありがとう・・・










私の成長過程では
様々な変革がありました。

電化製品が続々と普及したし、
食への規制が厳しくなりました。

絵具を溶いたようなジュースが提示され
「おいしそうでしょう!でも、この色はね・・・」という指導が
学校で施されます。

は??
何がおいしそうですって??
私は冷めていましたね。

牛の絵が描かれた、馬肉の「コンビーフ」(?????)
そんなものもありましたね。

父が注文した「チキンライス」に鶏肉は入っていなくて
「ハムライスじゃないですか!」と父が抗議した、
ということもありました。

20年位前でも「蟹ピラフ」という名の「蟹かまぼこピラフ」に
東京で遭遇しましたが・・・







お惣菜も
今思えば、何を使っていたのやら・・

忘れられない記憶があります。
子ども時代のある大晦日の夕方

おせちもほぼ完成
閉店間際のたたき売りに出向いた母は
大好物の「白いんげんの甘煮」を買ってきました。
黒豆がおいしく煮えていたのですが
大好きな白隠元が欲しくなったようでした。
黒豆と白隠元??
お正月なのに???という突っ込みはご容赦くださいませ。

食べてみて、と母に言われてひとつ口へ・・


途端に


今でも覚えています
喉が焼け付くように熱い!!!!!

変な甘みと苦みが喉にひりひりとへばりつき
何杯お茶等を飲もうが
3日くらい抜けませんでした。

あの煮豆
何が入っていたのでしょうか????
おそらく、人口甘味料・・・

このテーマは
おそらく不定期に
暫く続きそうです。
よろしければ
おつきあいくださいませ。

その前に
皆様のページにお邪魔しなければ!

明日も佳い一日となりますように。
おやすみなさいませ。








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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
ありましたねぇ〜舐めると舌が真っ赤になる飴!
私が小学生のときに禁止になった人口甘味料で「チクロ」って言うのが有りましたが言葉が「ドクロ」に似ていて如何にも危なそうだと当時思いました(あとサッカリンも)
最近気がついたのですが「増えるワカメ」って殆どが中国、韓国のワカメを使用していて驚きました。海洋汚染国…そんなもの喰えるか!
って思って、最近は鳴門の乾燥ワカメに変えました。
10年ほど化学調味料を一切使わない食事をましたが再度化学調味料を使い出したときは胸焼けが酷かったです。以降「永○園のマツタケの味お吸い物」が食べられなくなりました。
ことっち
2015/11/05 23:00
こんにちは
やっぱり口に入れる物を気をつけて食べてるからなん百年も活躍できる魔女になられたんですね^_^
私も気をつけなきゃ。
シグまろX
2015/11/06 16:26
サッカリンでしたっけ?人工の甘味料、チクロ?
なんか昔は健康のためなんて考えないいろんなものがありましたよね。赤く色を付けたものだって今だったらきっと食品としては許されないもののような気がします。
でも、今の食べ物のジャンクフードで育った子供たちには関係ないのでしょうね。薄味の和食が世界遺産になったとしてもどこまで存続されるのか不安になります。和食が日本ではなくて他の国の方が美味しいものに出会ったりしてね。笑い事ではないですよね。(ー_ー)!!
はるばる
2015/11/06 17:49
20世紀は、人々が史上最大の変化を経験した世紀だったと思います。少し年上の友人は、冷蔵庫は氷を入れて使うものだったと言います。姑は川で洗濯をしていたと言ってましたし。使っていなかったけど、家にかまどがありました。私は斧で、お風呂にくべる薪割りをしましたね〜。
食べ物の話から外れましたが、昔を思い出して懐かしい気持ちになりました。
ガムのくじ、「当てもん」と呼んでいました。糸を引っ張る飴ありました。イチゴの形とかした…。
チクロが問題になったこと、覚えています。サッカリンは祖母が使っていましたよ。今から思えば怖い〜。
mayflower
2015/11/08 17:39
ことっちさま
遅くなりすぎた返信で申し訳ないことです。

サッカリン・・
マセガキ時代、S&Gの曲の歌詞にあったので、何だろう?と思いました。人工甘味料、と知り「それ何?」
今と違ってネットはありませんから、両親に訊いたりして、とても怖くなったことを記憶しております。
チクロ!覚えていますよ。発がん性が疑われましたよね。
実家は、母が健康オタクの傾向があったため
そういう点では助かりました。

乾燥わかめに限らず、買い物をする時は
あちらこちらひっくり返してチェックします。
安かろう・・・悪かろう、怖かろう・・
はい・・
海藻大好きです。勿論、産地に拘ります。

化学調味料もね・・
外食やお惣菜では避けきれないと思います。
でも、作る限りは抵抗します。
外では割り切って楽しく
家では拘って・・

明日もお弁当からのスタートですね!
ベラ
2015/11/25 23:24
シグまろXさま
遅くなりすぎて申し訳ないことです。

あらららら!
妖怪から魔女へ!!!!!

光栄ですわ!!

???って話??

私は、作らない時は割り切り
作る時は拘ります。
子ども時代より成長した?のか
お惣菜がおいしくなったのか・・

明日もおいしいもの、をめざしますね。
ベラ
2015/11/25 23:37
はるばるさま
遅くなりすぎて申し訳ないことでございます。

食べ物ではありませんが・・
話に聞けば
「青空ひばり」とか「美空ひはり」がいた時代もあったとか・・
まがいものって普通にあったのですね。

赤くないウインナ、が登場したとき
子どもだった私は感激しました。
だって・・
あの赤が食欲を減退させるのですもの。

ジャンクフードと
そうでないもの

前者は割り切って食べる
後者はきちんと作る
我が家ではそういう位置づけです。
がちがちに制限しても息苦しいから・・

あれ?
子ども時代より柔軟になったかもしれません。

でも、作る時はあやしいものを使わない!
どうか娘に伝わりますように、と願っております。
ベラ
2015/11/25 23:50
mayflowerさま
遅くなりすぎて申し訳ないことでございます

映画や博物館で見ました!氷を入れて使う冷蔵庫・・
兄(mayflowerさまと私の中間地点の年齢です)が乳児の頃
母は当時住んでいた父の赴任地(山の中学校)にて
ご近所様と連れ立って
薪拾いに励んでいたそうです。

私をおなかに抱えて
次の赴任地(田舎の平地)に着任
父は、そこで一気に
各種製品を母に買い与えた、とのことでした。
洗濯機、冷蔵庫
そして・・ガスコンロ、ガスオーブン等

糸を引っ張ると
苺の飴が出てくるくじ
やったことはないけれど
見たことはあります。
飴の大きさ、にランクがありましたよね。

チクロとサッカリンについては
申し訳ないのですが
ことっちさまへの返信をご確認頂ければ
幸甚に存じます。
ベラ
2015/11/26 00:04
子供の頃、人工甘味料は毒だと聞かされたことがあります。
すごい田舎に住んでいた私は、スーパーなどもってのほかで、おやつは芋とか栗でした。
父も姑も90歳半ばまで生きました。
この時代の人は思春期にあまり添加物を口にしていないのだなあと思いました。
気をつけたい物です。
はな
2015/12/11 06:48
はなさま
ありがとうございます

私が「栄養不良児」とみなされていなければ
「おやつで栄養を摂らせなさい」ということもなく
添加物だらけのお菓子を買い食いしていたかもしれません。幼い頃の朝食は、母が言っていたことには「ごはんとみそ汁」だったそうです。父は卵かけごはん等、ご飯を何杯もおかわり→肥満 母は一念発起して、おかず主体に改革したのだそうです。私の記憶はそのあたりからです。バランスよい食卓、を心がけるようになったのは、今さらながら両親のおかげと感謝しております。
ベラ
2015/12/12 22:33

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