ベラの戯れ言第弐章

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zoom RSS かつて存在した作曲家

<<   作成日時 : 2017/02/19 23:54   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 11 / トラックバック 0 / コメント 6

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ご無沙汰致しました。
各サイトの進化に対応出来ず
あちこち半ば放置しておりましたが、
久しぶりにこちらにアップ致します。

時々
皆様のページにはお邪魔しておりました。
このあともお邪魔致します。
3か月以上放置していたのに
アクセスレポートを拝見すると・・
ご訪問下さっている方々がたくさんいらっしゃったことに驚きました。
ありがとうございます。

さて・・・

手元にある3曲のピアノ曲。
1曲は未完成と思われます。

作曲家・澤田孝一氏について
何かご存じの方がいらっしゃいましたら
情報をお願い致します。

なぜこの楽譜が手元にあるかといいますと・・

かれこれ30年以上前に(古い!!)
大学の後輩に依頼され
これらのピアノ曲と
歌曲を数曲(この楽譜は手元にありません)を
大学にて録音したのです。

経緯はよくわかりません。
声楽専攻の学生ふたりが
何らかのルートで引き受けてきて
歌曲の伴奏及びピアノソロを私に依頼してきた、
ということは確かです。

依頼主は
澤田孝一氏の・・・
ご家族か?ご遺族か?ご子孫か?
そのあたりは
引き受けてきた後輩達もよくわかっていないようでした。

私は頼まれるままに練習し
録音し
謝礼を頂きました。
依頼主の方にはおお会いしていませんが
とても喜んでいらっしゃった、とお聞きしました。

長年開くことがなかった楽譜ですが
かつて存在していた作曲家、ということで
突然気になり始めた次第です。

カルチャー等で古い歌をどれだけ伴奏してきても
その方の曲には出会いませんでした。

しかし、手元にあるピアノ曲のうち
2曲は出版されたもの、と思われます。
手書きではありませんし。

今なら「行進曲」と表記されるものが
「進行曲」となっていることも
古い時代を思わせます。
曲調も・・・

最近ちょっとわかったことですが、
(同姓同名でない限り)
明治30年代の後半から
演奏会のプログラムや出版物に
そのお名前を見ることが出来ます。
おそらく、東京音楽学校(現・東京芸術大学)で学んだ方なのでしょう。

生没年一覧に辿り着きましたが
18??〜19??となっていました。

2016年版の「実践女子大」の資料によれば
実践女子大の校歌は
下田歌子作詞
澤田孝一作曲
となっています。
これは楽譜が掲載されていました。

歌曲のタイトルも見当たりますが
楽譜には辿り着けません。

別に今更何を???という話です。
しかしながら
若気の至りで面白半分に引き受けて
面白半分に録音したことが
心残りなのです。

依頼主さまはどんな思いで依頼されたのか
間接的に依頼されただけの私は
そういう気持ちに向き合うことはありませんでした。

結果として喜んで下さったのだから
どうでもいいじゃないの!
って思われたら
速やかなるご退室をお願い申し上げます。

どうでもいいじゃん!っていう感覚が
私にはあまりありませんので・・・

馴染めない曲調に戸惑いながら録音したことが
今頃になって悔やまれます。
一つの時代を越えていく時には
音楽上の試行錯誤も当然生じます。
成功してもしなくても
大切な過程を担ったおひとりではなかったのか・・・

そんなことを考えております。




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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
創作される方はどんな形であれ作品が残るということは遺族がそれを元に思い出に浸れるということにもなるんですね。
僕にはそんな才能がないので子孫が僕の遺品を見ても「へー」で終わってしまうんでしょうね。心に響く何かを残せればいいんですが・・もう無理かな?
それにしても多分未完成な形のままだったから残された人も聞いてみたかったんでしょうね。どんな思いでそれに期待したのか・・遺作ってことでしょうか?
多分それを知っていたら何か思いも変わったんでしょうね。ベラさんがこだわる気持ちも分かります。
でも、楽しい気持ちで作ったのに聞く人によっては悲しい感じにもなるっていうから、こればかりは難しいですね。どこまで気持ちを載せることが出来るのか。
まあ、最終的にはご自分の納得感にもつながるんでしょうから、納得のいくまでやるしかないですよね。僕には応援するしか出来ない世界のことですが・・。
はるばる
2017/02/20 12:03
こんにちは

澤田氏が活躍した時代は
音楽家もこぞって
戦争賛歌に協力したのでしょうね
どんな方か
お判りになると
すっきりする事でしょ
作曲家?声楽家?演奏家?
無門
2017/02/20 18:31
はるばるさま
ありがとうございます

記憶を辿ると・・
引き受けてきた後輩の記憶、そのものが曖昧でした。
遺品とも受け取れたし、終焉に際しご本人に聴かせてあげたい、という話にも受け取れました。おじいちゃんが昔作曲家だった、とおっしゃったことは確かなようです。おじいちゃん、がご存命だったのかどうかも???実は調査?が少し進みました。とてもとても長生きされていたならば「聴かせてあげたい」もあり得たと思います。後輩が引き受けた場所は大学内だった筈です。依頼主さまが音楽棟にお越しになり、学生さんに録音して頂きたい、と・・はるばるさんのお近くに、ご遺族がいらっしゃった可能性が高いですね。それも想像力を掻き立てられます。
ベラ
2017/02/20 23:29
無門さま
ありがとうございます

どの戦争か?なのですが・・・
もしかしたら第一次、かもしれません・・
少し調査が進みました。
益々わからなくなる結果、です。
1903年には、日本初上演のオペラ(三浦環主演)に
コーラス(バス・パート)として出演
翌年には、なんと静岡県で、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを演奏
作曲家としての出版はその頃から記述があります。
教鞭をとっていた私立学校では・・
澤田氏だけが「何を教えていたか」が記載されていません。他の教授は専門が記載されていますが、澤田氏だけが教授群にお名前があるだけです。
教えていたのは大正時代、ということは明らかです。その学校は短い期間を経て閉校されました。

三浦環氏は1884年生まれで、澤田氏は1級上にいたそうです。だからといって1歳上、とは限りませんが、まあ、そのあたりのお生まれでしょうか。
はるばる様へのお返事にもしたためましたが
録音の時点でご存命だった可能性はゼロではないですね・・
ベラ
2017/02/20 23:43
久しぶりに訪問させていただいたら、なんとまあミステリアスでロマンチックな(失礼)お話!
大学時代にベラさんにそのような依頼があったということも凄いですし、謎に満ちた澤田氏の生涯もとても気になりますね。
そういえば以前、私が何気なく書いた記事で『山古志音頭』を作曲された先生とご縁の深い方から連絡いただいたことがありました。
澤田氏にご縁のある人がこの街にいらっしゃるかも?しれないのですね。経過がどうなるかドキドキします。
けっこ
2017/03/14 21:29
けっこさま
ありがとうございます
諸事情で遅くなりました。
申し訳ないことです。

ちょっと調査が進んだのですが
アップしにくいもの、も判明しました。
画像を載せにくい、っていうのでしょうか・・

出生に関する情報はないのですが
ご遺族はけっこ様のお近くにいらっしゃるかも??

画像はメッセで送れるのでしょうか????
とりあえず、画像なしでアップするつもりです。

山古志音頭、のお話も素敵ですね!
私は、亡き母の記憶にある歌の正体を知りたくて知りたくて!!
どのように検索をかけても
何もヒットしません。

それもアップしたいなあ!
ベラ
2017/03/21 20:07

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